1500Vへ昇圧〜


 そして、東急も600Vから1500Vに昇圧するときがやってきます。
 池上線が600Vから1500Vに昇圧したのは昭和32年8月10日のこと。旅客の増加により、加減速や速度の向上など走行性能を上げるためには昇圧は必要なことでした。

 東急としてはまず昭和27年に東横線が、昭和30年に目蒲線が、池上線の昭和32年、その翌年の昭和33年に大井町線、という順番で工事が進められました。

 昭和17年製のクハ3650を1500V電動車へ改造したデハ3650形が登場。さらに600V/1500V切り替え装置取り付け改造をした3450形、3500形を使い、東横線をまず昇圧します。その後、昭和29年に東横線へ5000系を導入。車輌に余裕ができたところで目蒲線を昇圧、その後池上線に移動、そして大井町線へ移動、と車両をやりくりしながら工事を進めていったのでありました。もっとも3450、3500の全車すべてが転属しながら、ということではなく、必要な車両だけが移動していったようです。

 5000系の増備やらでできた余裕で、切り替え装置がない在来車を1500Vへと改造する工事も同時進行。1500Vへ改造されなかった車輌もあったようですが、ほとんどの車輌が輸送力増強用として使われました。

 ちなみに池上線が3両編成化したのはいつか、という確かな記録は残念ながら手元にありません。写真などで見る限り、昭和28年では2両編成。昭和31年では3両編成。ということで昇圧前には3両編成になっていたようです。
「5000系増備のおかげで池上線が3両化になった」ということは言えるでしょう(ちなみに東横線の5000系、3両→4両は昭和32年。さらに昭和34年には一部の編成で4両→5両も行なわれたのでした。大井町線の昇圧が終了し、在来車の1500V化工事が終わったので、東横線の3000系旧型車にも5両の編成があったようです)。

 続く昭和38年12月1日からはATSの使用が始まりました。この日からは大井町線も同時にATSを使っています。当時はまだ鷺沼まで開業しておらず、車庫は元住吉か碑文谷、ここから路線的に遠い路線が最後にATS化となったわけだ。