3450形トップナンバーの50番です。
目黒蒲田電鉄のモハ510形として、昭和6年(1931年)7月、日本車輌で製造された。
東横線などで活躍、戦争を無事に切り抜け、
東急線の1500V化に伴い、各線を渡り歩き、
田園都市線などで活躍後ののち、予備車となって
長津田検車区で余生を送ることとなりました。

池上線の3450形に、検査による車両不足があった時など、
代車として長津田からやってきては雪が谷で入れ替えをして
この写真のように代役を務めることが、時々ありました。
この時期、私は通学で池上線を利用していたので、
とにかくこの車両を目撃したら、雪であろうと雨だろうと、
それこそカメラ片手に朝のラッシュ時、夜間など、
時間がとれる限り出会うチャンスを待っていたものです。

日車特有の長いアンチクライマー、独特の屋根のカーブ、
とても好きな一両だったので、高津で保存されたときには大感激でした。
この車両と99番だけはシルバーシートが二人掛けで、
灰色のシートがなぜか高級感を醸し出しているような気がしてたまりませんでした。

両運転台の車でしたが、片方が非貫通なため、かならず五反田寄りに連結されていました。
一方の両運転台車99番は、両方とも貫通のため、中間に入ることや、
クハ代用として蒲田寄りに付くことも……。

写真の場所は、荏原中延の地下化工事中の頃。
仮の上り線ホームから旗の台方面を見たところです。
ここも今では地下になり、地上の商店を含めて
まるっきり雰囲気が変わってしまいました。

ここの工事、予定の工期の倍以上かかってたことを思い出します。
工事が始まる前は、今と同様荏原中延−旗の台間はもっとも飛ばせる区間のひとつで、
運転手によってはノッチを入れっぱなしで70キロとか出してました。


作成:1998/9/8
大幅な加筆:2000/10/25


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