東武鉄道 1984
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昭和59年の夏、急に乗ったことがない東武に乗ろうと思い立ち、
浅草へ行ったことがない私は中目黒〜北千住と
今考えるとなんとも時間がかかる方法で東武線まで行きました。

当時私鉄の時刻表があるかどうかも知らず、とにかく行き当たりばったり。
目指すは日光だとキップを買ったものの、生まれてはじめてみる種別
『準急』にビックリ。えっ、どこ止まるの? タダで乗れるの?
急行はないの? 快速ってなにさ、というお上りさん状態で
準急を一本のがしてしまい戸惑っていました。

カメラ片手に撮りもせず列車になかなか乗らない私を発見したやさしい駅員さんに
『どこへ行くの?」と声をかけられ、緊張しながらキップを見せて
「列車を撮りながらここへ行きたい」と、しゃべったのを今でも思い出します……。

 まずは北春日部を目指します、準急に乗り春日部で普通に乗り換え。待っていたときに写した一コマがこれです。
 6000系は快速専用車。非冷房ですべてが2両編成、下今市で分割するので下り列車は小さい行き先表示幕に駅名が二段で書いてありました。読みづらかった……。
 しかし1985年くらいから走り装置を利用して6050系へとなったのは驚きでした。

 で、北春日部に到着。ここに車庫があるのは予備知識として知っていましたが、国鉄や東急の車庫がオートボーイではどうにも撮影できないことを思い知らされていたので、ホームからなにかとれればいいや的にホームに降り立ちました。

 写真は説明もいらないくらい有名な東武のデラックスロマンスカー1720系です。製造初年は1960年、6両編成で運転最高速度は110lm/h(1962年から)、鬼怒川温泉方面の「きぬ」と、日光行きの「けごん」に使用され、外国からの旅行者を意識してシートは大きめに作られ、サロンルームにジュークボックスを備え、ビュッフェ付き。さらに和式と洋式の便所も備えるなどとても画期的な車両でした。

 私は社会人になってから社員旅行で一度だけ乗ったことがあります。背もたれも今時の特急車と比べるとそれほど高くなく、座っても車内を見渡せる明るい室内。静かで揺れが少なく……、という思い出があります。前面のデザインはともかく嫌いではない車両でした。

 1800系の急行『りょうもう』号です。当時なんかのお菓子のおまけでこの車両のペーパーキット(けっこう小さいの)があり、グシャグシャになっても大事にとっておいた思い出があったりして……。
 製造初年は1969年、最後のグループは1987年くらいというから、けっこう形態も色々あるのかも。

 このカットはどうやって撮影したんだろう……、思い出せないのですが北春日部です。8000系はガキだった私には前面展望も期待できず(もっとも当時の東武は遮光幕を下ろしていましたけどね)、見た目も偉そうで好きではありませんでした。
 本当は旧型の7800系を撮りたくての東武行きだったのですが、情報調べずに行ったため見るのはこの8000系ばかり……。でも撮ったのはこのカットだけでした。



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