急行運用に就く営団8000系、撮影はたぶん2000年、高津を通過するところです。
パープルラインをまとったアルミ車両で、1981年に登場しました。
営団としては初の一段降下式の窓、6000系や7000系と車体設計は似かよっているものの、
冷房準備とか、連結面の幅広幌を一般的なドア付きのものにするなど
その当時での”ベスト”を模索した形跡がうかがえます。
前から4・5両目が1994年の最終増備のタイプで8両から10両に増結した名残。
窓がドアを含めて上下方向に拡大され、明るくていい雰囲気です。

営団6〜8000系はそれぞれ各線の延長開業、列車増発とともに
長い年数を掛け全19編成が10両で増備されたので、趣味的におもしろい形式なんだそうです。
デビュー当時は何編成かが東西線で運転していて、5000系と同じ2ハンドルマスコンを搭載していましたが、
やがて鷺沼の受け入れ態勢が進むと同時にT形ワンハンドルマスコンに換装。
初期不良をあぶり出すためとはいえよくやるなと思ったものです。<勘違い?

ファン的には、登場当時は8500系よりも新しい(とは限らないがガキだったのでわからんかった)、
ドアの開閉がなんか今までにないものだった、サイリスタチョッパが新鮮、
などで好んで乗っていたのですが、
時が経つにつれ前面展望がほぼ絶望的、なんか乗り心地が粗野、
そんな感想を持つようになり、8500系の運転席後部窓増設にいたると、
時間が許せば次の電車を待つようにまでになっていた自分がいました……。

あと数年後には押上まで延長開業、そうすると所要が足らなくなるので
当然営団は増備せにゃなりません、さて、どんな後継形式が現れるやら……。
(まさかお古は回ってこないだろうなぁ……。)

2001/8/6作成


乗り入れ車両へ戻る
写真館へ戻る
みづほトラベルへ戻る