伊豆急からやってきたウグイス色のED301。東急の長津田工場で電車の入れ替えを生業としています。上の写真は入線間もない頃。

 この機関車、元を探ってみると東急の車両としては複雑な経歴の持ち主でした。
 戦時中、豊川鉄道から日本車輌にデキ54として発注されたものの、1943年(昭和18年)豊川鉄道が国有化。 1944年(昭和19年)8月26日に完成したとき、とりあえずデキ54としてデビュー、豊橋機関区に配属されています。飯田線で貨物輸送を担当し、1952年(昭和27年)3月に今名乗っているED301となり、1959年(昭和34年)2月に宇部線へと転出。
1961年(昭和36年)10月にED2511と改番。
 しかし、1962年(昭和37年)5月には第2種休車となり、1963年(昭和38年)に廃車となってしまう。
 伊豆急行に払い下げとなったのは1963年(昭和38年)5月21日。伊豆急でも貨物列車を牽引するなど定期運用を持っていたのですが、1980年(昭和55年)10月1日、貨物列車の廃止。その後は、臨時列車や工臨を牽引する程度。サロンエクスプレス東京やスロ81系などを牽引したこともありました。その後、客車列車は国鉄から機関車ごと入線するようになり、出番は激減。1994年(平成6年)9月25日には100系2両を牽引したさよなら運転を実施。
 同年10月3日からの甲種輸送によって東急長津田工場へとやってきました。

 書類的には10月5日に東急に入籍となっているが、まもなく車籍を抹消。長津田工場の他の入れ替え車と同様に機械扱いとなっています。翌年の3月には今の形となって出場しているようすが雑誌に載りました。

 国鉄時代は茶色一色の写真を雑誌で見たことがあります。伊豆急時代は茶色に裾の部分に黄色のラインといういでたち。ボンネット上部に大きな前照灯が1灯乗っていました。現在は入れ替えように徹するため、夜間作業を考慮してライトを増設。ボンネットの端に小さなライト2灯と、運転席の屋根下のところ1灯の計3灯としました。
 ブレーキ系統も客車用のものを外したりと、細かい改造を受けており、いきなり本線を客車や貨車を引いて走る、というわけには、もういかないようです。

 そして次の写真は2004/3、こどもの国線車内からの撮影。だいぶ傷んでいますね。屋外留置がほとんどなためでしょうか。
 個人的には、なぜこの塗色なっのか、この塗色にするなら、もしかしてデキ3021もこの塗色に? なんて考えたこともありました。この入れ替え機のかわりはそうそう見つかるものではないので、とりあえずしばらくは安泰かな。



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