みづほの使用機材 |
銀塩カメラ・デジタルカメラ |
NIkon一家だったわたしは当然のように祖父から古いニコンのカメラを譲り受け、自分でシステムアップ、本体買い換え、さらにシステムアップ……。気がつくと友人はキヤノン派が大勢を占めるなかでニコン派として頑張っていました。愛機を画面左から紹介すると……![]() ■Nikomat EL ■Nikon F3 ■Nikon F4 ■Nikon F501 ■Nikon FA 他にもOLYMPUS XAという小型マニュアル機の名機や、CONTAX 139 QUARTZやらもありますが、このサイト上の写真にはほとんど使用していません。 最初に手にしたのはCanonデミEE17。ハーフサイズで撮るカメラで、発売初年は1966年だったと知り、名機だったなぁという想い出とともにすごいお古を小学生に与えたのかぁ、とも思ったり(^^ゞ でも、レンズ部がもう修理できないといわれた1980年まで使いました。サイト中に「ハーフサイズの……」とあるのはこのカメラです。露出計を内蔵し、シャッター速度と絞りの関係を勉強することができました。 次はキヤノンオートボーイAF35M。デミEE17が壊れる前に買ってもらったのですが、マニュアル機能がなく使い勝手は最悪。家族にも不評で2年ほどしか稼働しなかったなぁ。とにかく鉄道撮るには不向きでした。 そしてその不満をおそるおそる祖父にぶつけてみて与えてもらったのが私の初一眼レフカメラ、Nikomat ELでした。35-70の初代ズームレンズ付きで譲り受け、シルバーボディーも傷が目立たず使いやすかったです。絞りの連動がレンズの外側に着いた露出計連動爪を合わせながらマウントに装着、なんとも儀式がかったあたりが友人には不評のようでした。味があってイイじゃんか(^_-) 初任給で買ったのはFA。35-70と一緒に買いました。一番使い込んでいて、稚内から鹿児島まで連れて歩きました。そして何度落としたか、何度オーバーホールに出したかわかりません。なぜかデモンストレーションの赤い「D」の文字を持ったヤツでしたが、これが最後と言われたオーバーホールでナンバー部分の部品を取り替えてくれちゃって……。 交換レンズもELでも使えるようにと露出計連動爪を装備させ、100-300、100単焦点、モータードライブと買えそろえ、いったいいくら使ったか……。 1997年になってこれまたお古としてF4を。35-135と専用スピードライトも譲り受け、リアラという人物撮りに振ったネガフィルムを使い、結婚式など室内人物撮影で威力を発揮しました。時々ED180やED300といった高級望遠レンズを借りてサイトにも使った写真を撮ったりしています。動態予測フォーカスのはしりなカメラですが、一段絞ればけっこう使えます(最初は信じてなかったりして(^_^;) OLYMPUS XAは祖母の形見。F3は祖父の形見として。F501も生前祖父から母へ、そして嫁さんにと受け継がれた機体です。CONTAX 139はなぜかもらったもの。レンズの表現に違いがあるのだとあらためて思い知らされました。高いものはやっぱり理由があるんですねぇ……。 これらも時々使ってやりながら、サイトの写真に採用したりしてました。 でも、2002年秋にデジカメデビュー。2500を会社から借りてその便利さにショックを受け、色々勉強したのち迷いに迷って4500を買いました。システムアップができて、マニュアル機能があって、スバイバルレンズというレンズ部が本体と別に稼動する独特の構造にハマって……。夜間のバルブに強く、とても気に入っています。ええ、銀塩カメラの電池を抜いてしまったほどに……。 ![]() しばらくはコレで色々撮影していました。レンズの表現に限界を感じつつも、お金がないのとWebで使うからと妥協していましたが、縮小しても違うモノは違うっ! と、Olympus E-300というデジタル一眼を譲渡してもらい、さらにマウントアダプタをかませ、Nikonレンズをマニュアルレンズとして装着、過去の資産を有効利用しています。 しかし、Olympus純正はレンズレンズキットの14-45だけだよ(^_^;) writer2007,4,6 |